ふるきのガベージコレクション2

脳内を通り過ぎたイメージの残骸の記録

ブログを書く気力が出ない

連日の雪かきで疲れすぎてしまって、少し高度な作業が出来ない状態になっている。ツイッターをダラダラ眺めるとか、動画をぼんやり見るようなことはできるのだが、ブログのネタを考えて書く作業になかなか向き合えない。

それでも何とか書いているのは自分でも偉いなと思っている。今日はここまで。

あんかけ焼きそばを作った

昨夜の夕食にあんかけ焼きそばを作った。

(K)も作ったことがないメニューだったが、八宝菜をかける皿うどんと似たようなものだろうと考えて作ってみた。レシピを検索するとあんの作り方が醬油味や塩味などいろいろあって迷ったが、今日はヒガシマルのサイトのレシピを採用。いつもの皿うどんとは、あんの配合作業と麺を硬めに焼く作業が追加になったが、それほど難しくなく作ることができた。

2人用のレシピを3人用に増量して作ったのだが、とろみをつける片栗粉がうまく混ざらずに透明なゼリー状に固まってしまってとろみがつかない。結局、片栗粉を倍量を入れたところでとろみがついた。食べたときに結構な量のゼリー塊ができていたので、足りなかったのではなく、混ざらなかったという問題だった模様。火を消さずに一気に投入したのが良くなかったのかもしれない。次回までに少し調べてみようと思う。

能動的な活動を増やす

スマホもPCもテレビも同じなのだが、読んだり観たりの受け身な活動が大半を占める。それ自体が悪いということはないと思うが、ほどほどにする必要があるかもなと感じている。特に活字を読む作業は膨大な量になっていて、同じ作業の繰返しは脳の活性化という観点でも良くない方向ではないかと思う。

一方、能動的な作業は脳の別の場所を別の使い方で使うはず。最近ではこのブログ書きやカラオケ、ギター、料理などが該当する。ただし、頭の調子次第でこういった作業ができない時間もあって、どんどん増やせるわけではないのが難しいところ。

本来は働くことでも能動的な活動ができるはずなのだが、定型的な仕事が多くて脳が活性化できているような気はしない。時々、複雑な話に巻き込まれると"今日は頭を使った"と疲れ切った日が出てくるのだが、若い頃はこれが毎日続くような状況で、それはそれで消耗していたなと思う。

今年は"能動的な活動を増やす"ことを常に意識しようと思う。

久しぶりにギターを弾く

昨日はずいぶん久しぶりにギターを弾いてみた。新型コロナの給付金が入ったときにヤマハのサイレントギターを買っていた。半年ぐらいはよく弾いていたのだが、最近はお蔵入り状態になっていた。

最近、脳の活性化策としてカラオケを始めたのだが、こんなに音痴だったっけというくらいの出来になっていて、ギターで歌ったらどうかなと試してみた。もちろん評価は出ないのだが、伴奏を自分が弾いているのでタイミングが確実に把握できてずっとうまく歌えている。カラオケは伴奏のリズムがうまく把握できないという問題だと気付かされた。もしかすると伴奏の編曲がリズムをつかみにくいものになっているのかもしれない。

カラオケとの比較はともかく、ギター自体はコードも指使いも忘れずに覚えていて、少し練習したら伴奏レベルまではすぐに戻れそうだった。いつも壁になるのがコードを抑える左手の指先の痛みで、皮膚が硬くなるまで継続できるかという点。今回は記事に書いたことだし何とかがんばってみたい。

雪が降ったがたいしたことはない

昨日の午後3時頃から雪が降り始めて急激に気温が下がって-2℃、寝る前までにアメダスで14cmの積雪になっていた。予報では夜も降り続いて40cmぐらい積もることになっていたが、結果は14cmのまま。気温はさらに下がって-4℃になっている。

今回の寒波は2週間ぐらい前から報道があって、毎日少しずつ変わる天気予報に一喜一憂していたが、今日の段階では気温の低さだけが当たった格好になっている。気温からすると確かに猛烈な寒波なのだが、雪が降るかどうかは水蒸気の量で変わってくるので予報があたらなかったのだろう。この後も雪が少なめで早く気温が上昇してくれたらと願っている。

今回の寒波で気象庁の天気予報と日本気象協会の天気予報が別物だということに気付いた。気象庁の予報のほうがおとなしい予報で現実的。日本気象協会は少し大げさ目になっていた。世の中への影響力は日本気象協会のほうが大きいので、より厳しめの予報を出して世の中を安全側に導くといった意味があるのかもしれない。

カメラ選びで悩む(その4)

現在のデジカメという技術では、良い写真を撮るためにはレンズとボディの両方の品質が重要でそれらは価格のヒエラルヒーに乗っかっていて、すぐに100万円コースになりそうだということがわかってきた。

この問題は写真を撮り始める瞬間以後の品質を決めている。でも、それ以前の対象物に向き合うことやシャッターチャンスに出会うという別の難しさはお金だけでは決まらない。同じ場所からの風景を四季を追いながら撮るとか、1匹の猫の写真を撮り続けるとか、普段の移動の途中で出会った瞬間を逃さずに撮るとかそういう努力や難しさという要素がある。機材と機会の両輪で写真の出来が決まるのだとすると、機材にこだわりすぎる必要はないのかもなとも感じ始めた。

もうひとつは機材の時間軸を設定すること。写真を始める時にはボディにお金をかけてレンズは普及品を買っておく。資金が溜まってきたらレンズを追加していくという当たり前のやり方。最終的な合計額は100万円コースなのかもしれないが、機材と機会の両輪なのだと考えると妥協点から始めても良いような気がしてきた。逆に機会を優先すると小型軽量な機材が有利で、費用を抑えることができるかもしれない。

どんな風に写真を撮りたいのかをもう少し考えて、機材を選ぶところから考え直してみようと思う。

ハヤシライスを作った

昨日は夕食にハヤシライスを作った。

具材は基本的に牛肉とたまねぎだけなので、楽勝とまでは言わないが気楽に作れた。ルー1箱分(10食)を作ったのでたまねぎは中3個、切ってみると結構な分量なので大丈夫か少し不安になったが、炒めると半分ぐらいに減って問題なく作れた。今回は玉ねぎの炒め具合がちょうどよかったようで、主張しすぎず、存在感はあるという感じでおいしくできたような気がした。箱レシピどおりでも味の幅は出てくるという経験だった。