ふるきのガベージコレクション2

脳内を通り過ぎたイメージの残骸の記録

平成が始まる少し前のこと

初めて開発プロジェクトに参加した頃、車体設計の親玉にSさんという人がいた。設計の親玉なので、技術がわかる人のはずなのだが、打合せでの説明になかなか納得してくれなくて苦労していた。
ある歯車を支持する軸受けが2つあって、前進時と後進時で負荷が変動する。車両が仕事をする前進時の負荷が大きい軸受は大きく、ただ走るだけの後進時に負荷が大きくなる軸受は小さく設計するのが定石なのだが、Sさんは「同じ大きさだろ」と言って譲らない。
すれ違いを繰り返していたが、その歯車が組立容易化の目的で車体側の担当になって程なくして大小の組合せに変更された。あの野郎!と腹が立ったが、車体設計との打合せ頻度が減ったこともあって、Sさんに会わなくなり、いつかそのことも忘れていた。

久しぶりの打合せがあって、車体設計の事務所に行くと、業務時間中にもかかわらず休憩室のテレビから昭和天皇崩御のニュース特番が流れている。これからどうなるのかなと話していると、Sさんが入ってきて、開口一番、「てんちゃん死んだな。あいつにどんだけ苦労させられたか」とだけ言って、その後の会議では口を開かなかった。その時には意味がわからなかったが、Sさんは満州生まれの引揚者だったことを後から聞いた。

ただそれだけの話でオチはない。こういう人が居なくなって、今の世の中がある。