ふるきのガベージコレクション2

脳内を通り過ぎたイメージの残骸の記録

クルマについて(その1 来し方)

ネットもSNSもなかった独身の頃はクルマの運転が娯楽の大部分を占めていた。週末にはあてもなく出かけて半日で回れる程度の距離を集中して走り回った。地図上の知らない道路、場所を訪ねて空白を埋めていくことが楽しかった。今でいう"ぽつんと一軒家"的な地図巡りもしていた。紙の道路地図帳を使って。

クルマはもちろんMT車、まだAT車は普及していなくて発展途上で原始的といってもよい段階。運転を楽しむにはMT車以外の選択肢はなかった。最近は燃費ではAT車の方が優れていたりするが、当時はAT車の燃費は3割ぐらい悪かったので、ランニングコストや性能という点でもAT車は論外だった。

Roadsterの謳い文句に"人馬一体"というのがあるが、自分の乗っていたクラスのクルマでは"人馬一体"にならなければ楽しく運転ができなかった。変速操作で非力なエンジンのおいしいところを引き出して加速し、非力なブレーキに頼らずにシフトダウンでエンジンブレーキによる減速力を得る。一連の操作がうまく決まるとバスケットボールのゴールが決まるような達成感があった。当時でも高出力、高性能のスポーツカーはあったが、それを買ったらより高速な道路環境でないと楽しめない危ない代物だったと予想していたが、本当のところはわからない。そういうクルマに乗っていた人は運転の楽しさよりもステータスを求める別の人種だったのかもしれない。

この延長でバイクにもしばらく乗った。自動車以上にまさしく"人馬一体"の感覚があってツーリングを楽しめた。結婚しなければ今でもバイクに乗っていたかもしれない。

その後、結婚と同時にバイクをやめて子育てが始まり自由な時間が減る。気ままなドライブの時間が少なくなったのと同時期にAT車に乗るようになった。AT車も徐々に改善されて燃費が向上し、楽に運転できるという点でも完成度がどんどん上がっていった。疑似マニュアル操作などの運転の楽しさへ振った機能も追加されたが、MT車の楽しさを知っている自分にとってはあまり意味のないギミックだった。でも仕事も忙しく子育て費用もかさむ時期だったので、クルマに関心が向かないことは状況に対応するために必要なことだったのだと思う。

そして今、時間と資金の余裕ができると同時に運転能力の衰えが始まり、MT車を買う最後のチャンスがやってきている。