ふるきのガベージコレクション2

脳内を通り過ぎたイメージの残骸の記録

ポケモンスリープ

ポケモンスリープをやってみた。

アプリをインストールして初期設定し、睡眠に関する"博士"の指示に従ってチュートリアルを進めて、寝る時にアプリを起動してスマホを伏せて置く。翌朝、データが取れているのだが、チュートリアルの続きがあって鬱陶しい。ゲーム部分をミュートするような設定が欲しくなった。

結果はぐっすりの時間が半分以上でまあまあの眠りだった。体の動きと音からの判定なので、どこまで信用して良いかはわからないが、昼の眠気などの問題は起きていないので、おそらくまあまあなのだろう。

汝、星のごとく 凪良ゆう

本屋大賞1位の作品を買ってみた。基本は恋愛と人の成長の話なのだが、社会問題も盛り込まれたお腹一杯になる小説だった。

作品とは関係ないのだが、複雑なものが読めない状況が続いているにもかかわらず、この本もすんなり頭に入ってきて、自分としてはかなりの速度で読むことができた。今時の小説は読みやすさにも十分配慮されていて、頭が疲弊している状態でも読むことができるようになっているのかもしれない。

街とその不確かな壁 村上春樹

内容についての情報を全く持たずに読み始めたら、何となく既視感のある内容に戸惑った。"世界の終りとハードボイルドワンダーランド"に似ている。内容はあまり覚えていないのだが、似ていることだけはわかった。Kindleで読んでいたため最後まで気付かなかったが、巻末にあとがきがあって、"世界の終りとハードボイルドワンダーランド"を書き直した本だと明かされていた。

"世界の終りとハードボイルドワンダーランド"を読み直そうかと文庫版を取り出してみたら、文字の小ささに驚く。2006年頃の購入のはずだが初版が1988年で、この頃の文庫はまだ文字がかなり小さかったのだった。電子版を購入するかあきらめるかを思案している。

同志少女よ、敵を撃て 逢坂冬馬

独ソ戦で家族を殺され村を焼かれた少女が、狙撃兵として成長していく物語を描いた小説。

とにかくぐいぐい引き込まれていく物語と描写に圧倒された。普通の小説では中断して再開する時には再び物語に入っていく時に若干のタイムラグがあるのだが、この小説は再開した瞬間に物語の世界に一気に引き込まれていく。何がそうさせているのかはわからないのだが、とにかく自分にとって特別な読書体験になった。

また、狙撃兵という兵種の特徴、他の兵種との違いや督戦隊の存在など、ロシア陸軍に関する描写も豊富で、現在のウクライナ戦争の理解の解像度が上がったように感じる。

21世紀の今現在もこの状況が続いている場所があることを再認識させてくれた本だった。

ブログが書けない その3

ストレス源は明らかだが、根本的な対処は難しい。統合された職場は元には戻らないし、改善活動からの離脱もまた別のストレスを引き起こす。対症療法で対応するしかない。

ひとつめは職場で抗不安薬を飲むこと。これは即効性があって、明らかに気分が改善している。職場に居るだけで感じていた苦痛がずいぶん柔らいだ。帰宅後の余裕も違ってきている。この一連の記事を書けているのも抗不安薬の効果と言ってもよいと思う。ただし、まだ5日めなので大きめの外乱が入っても大丈夫かといった不安要素はある。一方、職場にいない時でも抗不安薬を飲むと効果があるように感じている。生活全般のストレスレベルを下げることで基礎体力を復活させるような効果があるのかもしれない。

もうひとつの対策は、在宅勤務を再び増やすこと。これまでの3か月は週1日を在宅勤務または年休として通勤の負担を減らしてきたが、これを週2日に増やす。体力的な負担低減はもちろん、職場にいる時間を減らすことでのストレス低減を目指している。上司には体力面の問題を理由にして許可をもらった。

先週からこれらの対策の両方が始まった。週末の調子は少し良くなったような気がする。

ブログが書けない その2

この前の記事では出社するようになった変化の体力面への影響を検討した。でも、体力低下だけではここまで頭の活動が低下するようには思えない。問題はもっと根深いように感じている。

ブログで言えば書く気力の問題よりも、書きたいことがまったく浮かんでこない。Webサイト巡回では読みたいと感じる記事がみつからないし、難しい記事ではなくても内容が頭に入ってこない。休日のちょっとした掃除なども億劫になり、すぐにごろ寝したくなり眠るわけでもなくぼんやりと時間を過すことが多くなっている。これまで楽しみに感じていたこと全般への関心が低下している。頭が疲弊して活動が止まっている感じと言えるかもしれない。過去の経験からすると、これは鬱状態の始まりの症状だろう。ストレスへの反応が起きている。

主なストレス源は職場であることは明らかで、複合的なストレスが積み重なっている。在宅勤務から出社に切替わったことが直接の変化だが、3年間の在宅勤務の間に、元々所属していた職場が別の職場と統合されていて、その異動に起因するストレスが時限爆弾的に今、強烈に発生している。新しい上司や同僚との人間関係構築も大変だし、定時退社する自分を毎日晒してそういう人間であることに慣れてもらう修行も厳しい。何故そういう働き方なのかと問われる可能性と個人情報を盾にそれをかわすことができるかというスキルの自信のなさにも不安がある。

そういう職場の基本的なストレスに加えて、就業時間の10%もの時間を使って行なわれている改善活動への参加の負担が結構重たい。QC活動にも似てはいるのだが、業務の多様性という面でほとんどバラバラの職場でなんとかベクトルらしきものを探して小集団活動で改善することはとても難しい。やるべきことの難しさに加えて、ここでも本来の職場とは別の人間関係が生じて毎週のミーティングで顔を突き合せねばらならい。ついでに言えばこの活動内容にはほとんど関心が持てなくて、どうでもよいことに関わらざるを得ないというストレスも加わっている。

これまでは、職場のストレスを感じると、このストレスが給料の源なのだと割切ってきたのだが、現在の状況はその許容限度を大きく越えている。これが鬱状態を招いているのだろう。

ブログが書けない その1

ブログが書けなくなってから1か月ほど過ぎた。今、書いているのはブログというよりは現状のメモで、心療内科の診察メモに近いようなもの。公開できるものになるかどうかはわからずに書き始めている。

3月半ばから完全在宅勤務ができなくなって一部出社が始まり、週4日出社してきた。出社するためには往復3時間の徒歩+電車通勤が必要になり、肉体的な負担が増えるとともに、自由時間が3時間減少した。電車では読書や音楽にも使えるので、厳密には半拘束時間と言ったほうがよいかもしれないが、歩いている時間などは完全に拘束時間になる。また、通勤時間以外に、在宅勤務では不要だった家を出る前にトイレを済ませる儀式が増えた。加齢による消化器の衰えもあり、トイレに約1時間かかっていてその間は集中する必要がある。結局、自由時間は4時間減ったことになる。

悪天候や電車の運休時にすぐに在宅勤務に切替えできるように、毎日、仕事用PCを持ち帰っているため、デイパックの重さの制約から通勤に持ち出せるデバイスには限りがあって、通勤中に文章を書けるのはスマホに限定される。だが、スマホでの書きものは何度も挑戦しているが、うまくいかないことがわかっている。

それ以前の問題として通勤自体で疲れてしまっている。朝は駅まで15分ほど歩き、電車を待って1駅乗って乗換え、ホームで8分待って次の電車に乗る、ここまでの30分強とトイレの負担で疲れてしまい、以後の電車の中はぼーっとして休んでいる。降りる駅に近付くと混雑がひどくなって人混みをかき分けて降りるためにエネルギを投下する必要もある。朝は全く余裕がない状況。帰りは乗換えも混雑もないので少し余裕ができて、読書やSNSに少しだけ手を出すことができているが、ブログを書くまではとても無理な状況。電車を降りてからは駅から15分歩いて、帰宅後は夕食を食べて一服。寝るまでに1時間程度は自由な時間があるがブログを書くほどの余裕はない。この記事が在宅勤務3連続後の週末になってようやく書けているので、疲れがブログが書けなくなった要因のひとつであることは間違いないだろう。

でも、問題は疲れだけではないような気がしている。